正反対の勝ちトレーダー
こんばんわ。イチです。
トレードをやり始めた頃からしばらくの間は、「トレードで勝てる人って本当にいるのかよ!?」って、考えてました。
だって、手法を色々考えても勝てないし、その手法の逆をやっても勝てないし、適当にやっても勝てないし、感覚的に「おっ、これは行けそう!」って思っても勝てないし(笑)
もう、何をやってもダメ。
トレードで勝ってる人なんて本当にいるの?
トレード業界の陰謀なんじゃないの?
都市伝説なんじゃないの?
本当に序盤はそんなことを考えるほど、上手くいかない日々が続いたものです。
でも、どっちが先か覚えてませんが、勝ってる人を知って、『本当にそんな世界があるんだ!』って信頼出来てからなのか、たまたま時期が重なったからなのか、勝ち方が分かるようになってきました。
その頃は、トレードで勝ってる人のイメージって、やっぱり「ぶっ飛んでる」というか「感覚が違いすぎる」というか、「イっちゃってる」というか、とにかく普通じゃない感じがしてました。
そーいう人ばっかりじゃないのかもしれませんが、私の知る限りでは変な人が多いってイメージでした。
トレードをやってる人なら分かると思いますが、正直、恐怖を感じたらまともな判断が出来ず、負けてしまいます。
その恐怖を克服するために、ひたすらトレードを繰り返し、やらかしては損失を繰り返すのですが、恐らく大半の人はここを越えられないです。
それでも、ほんの一部の人はやり続けた先に勝てるトレーダーへの道が開けるのですが、この道を抜ける方法の最もオーソドックス(といっても勝てる人が稀有なので、オーソドックスなんて無いかもしれませんが…)なのが、
感覚を閉ざしていく
方法なのだと今は思います。
理由は、「恐怖を感じなくする」という、普通の人間からしたら不自然な状態に辿り着くために、その他の感情も合わせて感じなく(鈍く)なってしまうのでしょう。
私も、トレードを続ける中で、トレード第一の生活になり、モニターと自分の内面としか向き合わない生活が続き、「楽しむ」とか、「相手の気持ち」とか、そういう感情がすっかり弱くなっていたので、そうなのかなと強く思っていました。
トレードで勝ち続けたいが、自分の感情は失いたくない…
そんな葛藤を抱えていた頃、今の師匠に出会い、そのおかげで勝ちトレーダーのイメージがガラッと変わりました。
というか、初めて人としても尊敬できるトレーダーに出会ったって感じでした。
先ほど挙げた、オーソドックスなトレーダーとは正反対の勝ちトレーダーだった訳です。
冷静に考えると、本当に良い出会いを頂きました。
今後も、色々と学んだことをお伝えしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
それでは、本日もお読みいただき、誠にありがとうございました。
心に潜むバグ④
みなさんこんばんわ。イチです。
前回は、期待が執着を生み、執着が散々な結果を生む。じゃあ、どうしたらそれを改善出来るのか?
というところまで話をしました。
私の執着が強くなったのは、前回も書いたように『絶対的なものがある』との考え方を持っていたため、その分期待が強くなってしまい、その分執着が強くなってしまったようでした。
よって、改善方法の一つは『絶対的なものなど無い』との考え方を採用してみる、という事です。
恐らく、『絶対的なものがある』と考えている人は、『正しい、間違っている』という尺度で物事を見がちなのかもしれません。
かくいう私自信が、思いっきりその罠にハマっていたので。
その罠にハマっている限り、ずっと『正解』を探し続けます。
トレードで言えば、聖杯を探し続けるようなものでしょうし、聖杯など無いと分かっていても、長い間、手法の分析や研究を実施しているのであれば、それは罠にハマっている可能性があります。
『絶対的なものなど無い』と信じるのであれば、血眼になって手法を追い求めることもなくなりますし、その前提に立つと面白い目線が発見できます。
『絶対的なものなど無い』と考えてみるものの、世の中には『上手くいっている人』もいれば、『そうでない人』もいますよね。
じゃあ、それを分かつ原因は何なのでしょうか?
ここで、『それは、たった一つのこの視点が抜けているからだ!』というような、これさえあれば的な視点になるのは、ドツボです。
でも、確かにその差を生む『何か』は存在します。
それは、考え方かもしれませんし、人間関係かもしれません。環境、食事、運動かもしれません。
それら複数が絡み合っているかもしれません。
どれだけその差を調べて、分析して結論付けたって、それが本当に正解かもわかりません。
となると、攻略の仕方としては、
自分が現状の中からこれだと思える方法を採用してみて、後はやってみる。ダメなら変えてみる。
これが最良手となります。
つまり、これだ!と思える考えを持ちながらも、臨機応変さも持ち合わせるってことですね。
絶対的なものなど無いんだから、理論をどれだけ重ねたり、深めたりしたって、結局無駄になってしまうかもしれないのです。
それよりも、やってみてダメなら変える。
その方が、結果的に何倍も速いです。
しかし、こういったバグに気付けること自体が本当にありがたいと、最近思います。
トレードだけやってても気付くのですが、所詮、専業にならない限り、投入できる時間なんてしれてますからね。
でも、自分のバグってトレードだけじゃなく、夫婦関係や人間関係、仕事など色んな場面で表出するので、色んな場面で起こる問題の共通点を見て行けば、トレードだけやってるよりも遥かに早く成長できます。そこを繋げないなんて勿体無い!!
また、その問題に対して取り組む際は、必ず『自分自身の内面を改善する』こと。
ここにこそ、真の価値があります。
ということで、本日はこの辺りにしたいと思います。
それでは、お読みいただき誠にありがとうございました。
心に潜むバグ③
こんばんわ。イチです。
前回は、トレードにおいて不必要なミスを招くきっかけになってしまう、心に潜むバグの一つ『執着』。
これの正体を分かりやすく説明するため、夫婦間の問題(奥さんとの関係性を良くしたい)を取り上げました。
その中で、「自分がサポートすることに対して、一切見返りを求めない!」という事を誓い、実際に見返りを求めず行動し続けたのですが、次の問題が発生してしまいました。
~発生した問題~
私がサポートすることに対しては、一切見返りを求めずに取り組めていました。
しかし、日常生活を送る中で、例えば奥さんが子供を感情的に叱っているのを見た時、「叱るのは良いとしても、感情をぶつけるのは良くないのに。」と感じる自分がいました。
それは、色々と学ぶ中で、子供にしても部下にしても、そうすることが最良手だと多くの人が仰られていたからです。
そして、見返りを求めてはいけないが、言わなきゃいけない時は、言いたくなくても言わなくてはいけないのでは?との疑問が生じ、それを師匠に相談してみました。
昔、師匠も「違和感を放置しない。」という事を言っていたので、今回のような事象であれば、流石に「それならば、言ったほうが良い。」と背中を押して貰えると思っていたんです。
が、フタを開けてみれば、
「イチさん、全く分かってないですね。言う必要は無いです。そもそも、『叱るのはOK。感情をぶつけるのはNG。』ってのも、一つの考え方ではあると思いますが、その考えが絶対的な正解だと、どうして言い切れるんですか?」
と一喝されてしまいました。
自分の考えが受け入れられず、「え~!でも…」
と色々言いたいことはありましたが、その後冷静になって考えてみました。
確かに、絶対的な正解なんて無い。
そして、私が奥さんに、「色々言いたくなっている」のは、イコール「自分の正当性を押し付けたくなっている」のだなと、理解することが出来ました。
そして、これはトレードでも同じことが言えると気付きました。
トレードでも、自分の手法に自信が出てくると、「よし!この手法は勝てる!」と確信が高まります。
これは、夫婦関係の話で言えば、『叱るのはOK。感情をぶつけるのはNG。』という考えを絶対的なものと捉えてしまうのと同じです。
絶対的と認識すれば、必然的に期待が生まれます。そして、期待するとそこに執着が発生してしまうのです。
執着は、うらぎられたとき、悔しさを生み、結果的に自分のメンタルを崩すきっかけになってしまうんですね。
いやはや、なるほどです。
じゃあ、メカニズムは分かったけど、結果的にどうやって対応していけばいいんでしょう?
そこが一番気になる所ですよね。
ということで、次回はどうやって解決していけば良いかについて、記載したいと思います。
それでは、本日もお読みいただき、誠にありがとうございました。
心に潜むバグ②
こんばんわ。イチです。
前回は、
勝つためのルールを決めたけど、ちょっとした誤認からメンタルを崩し、いらんトレードをしてしまう、という事象に対し、どのようなバグが潜んでいるのか?
という所まで書きました。
これは、色んなバグの可能性があるのかもしれませんが、そのうちの一つとして、前回の記事の途中にも書きましたが『執着』があります。
では、何に執着しているのか?
私の場合は、「この手法は勝てる手法である」という確信が足を引っ張っていたのだと思います。
私は、トレードで勝つためには手法が必要。そして、その手法を使い続けていくためには、絶対的な自信が必要!そう考えていました。
よって、「この手法ならいける」と感じるまで、何度もテストしましたし、また複数の時間足や複数の通貨ペアでも、同様に機能するかについて、徹底的に検証しました。
検証を重ねる毎に、自信は高まります。
当然です。そのために検証を積み重ねているのですから。
しかし、「この手法は勝てる手法である」という確信が高まるほど、その高まりに比例した執着を産んでしまうのです。
「あれだけ検証したんだから、この手法は絶対優位性がある!」
「だから、この辺りで反発するはずなんだ!」
となる訳ですね。
私がこのメカニズムを明確に意識出来たのは実は最近であり、トレードだけやっている頃には、ぼんやりとしか認識出来ていませんでした。
明確に意識出来たきっかけは、夫婦の関係をより良いものにしたいとの想いから、夫婦揃って師匠に相談していた時のことです。
私は、奥さんが子育て等で大変な時期であったため、自分に出来ることを出来るだけサポートしていました。しかし、やってもやっても奥さんとの関係は一向に良くなりません。
その事で相談すると、「イチさんは、自分がしたことに対して、見返りを求めている。見返りは求めなくて良い。」とアドバイスを頂きました。
確かに見返りを求めるってのは、条件付きの愛情であるため、好ましくないってのは知識では知っていました。
でも、自分も忙しい中で来る日も来る日もサポートを続けてる中、何の反応も無かったりする日が続くと、「頑張ってんのに、、。何か反応が有ってもいいのに…!」と感じてしまい、それを奥さんにぶつけてしまっていたため、関係性は一向に改善しなかったようでした。
そして、「自分がサポートすることに対して、一切見返りを求めない!」という事を誓い、しばらく経過を見ることにしたのです。
すると、次の問題が発生!
その間、誓いは破っていないのに… です。
さぁ次は何が発生したのか?続きは次回に!
本日もお読みいただき、誠にありがとうございました。
心に潜むバグ①
こんばんわ。イチです。
トレードにおいて成長してくると、勝てるようになってくる局面が来ます。
しかし、勝ちを積み重ねるのですが、結局ちょっとしたきっかけから、メンタルを崩し、いらんことをやって、大きく負けてしまう。
あれさえなければ、トータルで勝ってたのに…
こういったことは、勝てるようになった方なら、経験済みの事かと思います。
そもそもトレードにおいて負けは必要コストですし、トータルで勝てていれば問題ないとも言えます。
ただ、負けトレードには「しかるべき負け」と「不必要な負け」があるんですよね。
よって、この「不必要な負け」が無かったか、をしっかりと見極める必要があります。
これも、自分なりの手法を確立した人なら、大体見極めがつくと思います。
問題はここからです。
その不必要な負けの根本原因を探っていくのですが、この根本原因っていうのは自分の心に潜むバグみたいなものなんですね。
そして、そのバグのうち今日は「執着」について私の経験から記事にしたいと思います。
恐らくほとんどのトレーダーは、初めのころ「聖杯探し」という迷いの森に迷い込むと思います。
かくいう私も、同様に、そして盛大に迷いまくってました。
何故、人は聖杯を探すのでしょうか。しかも、ほとんどの方が。
その根底には、
勝てる手法さえあれば、勝ち組トレーダーになれる
という思考があるのでしょう。少なくとも私はそうでした。
そして、試行錯誤の末、やっとこさ
「これこれこういう流れの時に、ここでこうなったらEntryする。これをやってれば、何とか勝てるかな。」
という、当時イメージしていた手法とは異なりますが、まぁ手法に辿り着くわけです。
気持ち的には、「やっとこれで常勝とレーダーに近づいた!」と嬉しく感じてました。
友人のトレーダーにも、得意げに話します。
「やっぱり、環境認識をしたうえで、しっかりとした根拠箇所での反応を見てEntryすれば、勝てるよね。」
そりゃ、苦労して辿り着いたんですもの。自慢の一つもしたくなります(笑)
そして、その通りトレードを重ねます。(話を分かりやすくするために、その間の苦悩はすっ飛ばしています。)
徐々に積み上がる勝ちトレード。
今日も同様に自分の手法に合った環境が来ています。
そして、Entryのタイミングが来ました。
「よし、いいだろうEntryだ。」
しかし、思惑通り順行せず。
「あれ、あ~!こっちの節目が意識されていたのか、じゃあこの節目でもう一度Entryだな。」
そして、Entryするも、更に損失に。
「あ~ちくしょう!ここでセオリーが崩れたんなら、逆にEntryだ!」
結果、これを皮切りに負けトレードを連発…
さて、このような事象の背景には、どのようなバグが潜んでいるのでしょうか?
ここが、トレードで勝ち続けるための重要な要素になります。
続きは次回にしたいと思います。
それでは、本日もお読みいただき、ありがとうございました。
流れを感じる
こんばんわ。イチです。
相場において、一定の手法を確立するまでには、一定の指標やインディケーター等を見続けて、繰返しトレードを繰り返すのが王道かなと思います。
そして、それを実施していると、その手法が機能するとき、しないときがあるという事が分かってきます。
私は、一定の手法が定まったと実感するまでには、かなりの時を要しましたが、昔は「手法さえ確立すれば、こっちのもんだぜ~!へっ。」みたいに考えていました。
でも、実際には手法が確立した後というのは、昔思い描いていたイメージとは違っていました。
昔のイメージ
・手法さえ確立すれば、後はそれを同じように実施すれば良い
=億万長者への直行キップは手に入れたも同然!へっ。(笑)
しかし現実は異なり、実際には、それを同じように実施しようとするのですが、
・負けが続いて、入るべきところで躊躇してしまったり
・負けが続いて、情報を歪曲して判断してしまったり
・意識が局所(一つの指標や、一つの時間枠など)に集中してしまい、判断を誤ったり
・環境認識が固定化し、流れの変化に置いて行かれたり
と、例を挙げればきりがないほど、「同じように実施する」ってのは、実は簡単なことでは無いってのが現実でした。
その背景には、改善すべきいくつかの課題があるのですが、今日は「流れを感じる」という課題を題材にしたいと思います。
先ず前提として、人間の脳というのは、実は恐ろしいほど高性能だとの認識が必要です。
私たちが頭で考え、意識に上ってくる領域を「顕在意識」といいますが、この情報処理能力はだいたい100bit程度の様です。
それに対し、その背後で動いている「潜在意識」というものの処理能力は1000万bitであると言われています。
つまりは、私たちが一生懸命頭で考えている(認識できている)能力の、 10万倍の能力が私たち人間の脳にはあるのだという事です。
以前、私が以下の記事で、私たちが自動車を運転していることがどれだけ凄いことかという事を記事にしました。
そして、まだ自動運転の技術は確立されていません。
つまり、私たちは様々な情報から、物事を総合的に見て判断できる凄い能力を持っているのです。
これは、運転もそうですが、例えば会話などもそうです。
複数の人たちと話していると、色んな会話が飛び交います。
また、その間に色んな事象(誰かがお茶をこぼしたり、扉が空いたり、テレビが付いていたり)が発生しますし、
更には、会話だけではなく、表情、声の抑揚、身振り手振り、姿勢など数を挙げればきりがない程の情報が飛び交い、それらは場の流れを織りなしていきます。
その中で、誰か特定の方の意見が、自分の心に引っかかったとします。
すると、私たちの意識は、その意見に向かいます。心の中で(それって俺の事?、俺が悪かったのか?、真意はそうじゃないんだよ!、それを言うならお前だってそうだろ!)等という、雑念(執着)が芽生え、場の流れを感じ取れなくなってしまいます。
そうなると、せっかくみんな楽しくお喋りしていたとしても、その流れをぶち壊すような発言をしてしまうことになり、結果的に信頼を失うようなことになりかねません。
トレードでも一緒ですね。
「値動き全体の流れを見る」という能力が必要ですし、そのためには
〇〇と△△と□□だけを見ていればOK~♪
って訳にはいかない訳です。
でも、流れを感じられるようになるまでには、
〇〇と△△と□□を先ずは見て、機械的にトレードしてみる
ってことが、必要になってくるんですね。
一見すると、真逆の事を言っていることになるのですが、これが一つのポイントなのだと感じます。
この「流れを感じる」ってのは、日常の仕事や会話、運転や歩いている時などでも実践できることなので、一度意識して実践してみて下さい。
それでは、本日もお読みいただきありがとうございました。
意識を変えていく
こんばんわ。イチです。
トレードでは自意識への意識の集中は命とりです。
いや、トレードに関わらず全ての事において、自分に意識が集中することは、望ましくないのだと感じています。
最近はその点を強く感じ、私の3月までの行動指針は、
自分が天命・利他のために在り続ける時間を
より長く、そして明るく楽しく過ごす
ということを掲げています。
でも、日々色んな事が起きて、そのたびに自分に余裕が無くなったりして、つい自分事に意識が持っていかれてしまいます。
そんな時は、目標を確認し、意識の再集中をするのですが、今日たまたまyoutubeで音楽を流していたら、ふと以下のCMで手が止まりました。
色々な知識や理屈で、利他の精神への再集中を図ったりしますが、こういう事実を、世の中のありのままを見れば、変な知識や理屈はいらないのかもしれません。
よし、頑張ろうと思えました。
過去にも何度も心動かされる話を聞いたり、動画を見たりして、「よし!頑張ろう!」と意を決するのですが、それも束の間、またいつもの自分に戻っている
そんな経験、誰しもあるかなとおもいます。(一緒にすんなよ!って言われるかもしれませんが(笑))
そんな時、どうするか?
その場合、再度意識を再集中するのです。
ブレたら修正、忘れたら修正。何度も何度も。
負の意識の浄化も必要でしょう。
そういった事を実践し続けるためには、仲間や環境が大切です。
人は一人では弱いものです。
でも、そういった環境に身を置くことが出来たら、どれほど心強いことか。
私も、そういった仲間を一人でも多く作り、一歩ずつ歩みを進めていきます。
というわけで、今日はここらへんで。
本日もお読みいただきありがとうございました。